著者について

本ブログをご覧いただきありがとうございます。

簡単なプロフィール

名称:脱サラぶちょー

年齢:1982年生まれの36歳

住所:東京都

家族:妻、娘(小学生)

趣味:ゴルフ、ゲーム、漫画、読書、神社巡り

特技:早起き

大学を卒業して新卒で中堅商社に入社、以来10年以上コツコツとサラリーマンを続けているが、ある日この生活が半永久的に続くことに強烈なストレスを感じ、脱サラを狙っている。

ご挨拶

こんにちは。私のブログを拝見いただき、ありがとうございます。

せっかく皆さんの目に触れる機会をいただきましたので、少しでも皆さんの人生にお役立ていただければ幸いです。

このブログは2018年の12月11日にふとしたきっかけで書き始めました。主にサラリーマン・OL(死語かな)の方で、今の暮らしが続くことに疑問を持っている方を対象に、書き連ねています。

また、これから社会に出ようという学生の方も参考にしていただけると思います。

要するに、今まで日本という国が推奨していた、「サラリーマン」という生き方に疑問を持ち、違う生き方を模索するブログです。

ただし、我慢して貧乏して生きたい訳ではありません。

すごくわがままな事を言えば、楽しいことだけして生きていきたいと強く願い、日々行動していきます。私が行動して、成功したこと、失敗したことを読者の皆さんが少しでも参考に、皆さんの人生の糧にしていただければ幸いです。


詳細なプロフィール

幼少期

1982年、神奈川県横浜市で 平凡なサラリーマンの父、専業主婦の母の子として生を受けました。

幼い頃の記憶は、自宅マンションのすぐ目の前に自動車のスクラップ工場があって、そこを姉と友人と走り回っていたことです。

今思えばそんなに裕福な家庭ではなかったのでしょうね。それでも全然不自由は感じておらず、のびのびと幼少期を過ごしていました。


小学校

小学校に上がると思い出すのはゲームとサッカーと日能研。本当にこの3つだけで構成されていたように記憶しています。

同世代の方でこの3つをスルーした男子はほとんどいないんじゃないですかね。クラスのほとんどの男子がファミコンやって、塾に通って、サッカーチームに所属していました。

学校の授業の記憶はほとんどなく、サッカーの朝練して、学校行って、サッカーしての繰り返し。サッカー大して上手くならなかったですけどね。リフティングもせいぜい20回くらいしかできませんでしたし。

サッカー無い日は友達の家に集まってゲームばっかしてました。スーパーファミコンが出てからはマリオカートばっかり。もっぱらのヨッシーばかり使ってましたので、全然「吉田」とか「吉岡」じゃ無いのにヨッシーとかあだ名つけられていました。

サッカー、ゲーム、サッカー、ゲーム。小学生っていいですね。

でも5年生になると急に環境が変わりました。

周囲にサッカーやめて塾に通いだす子が出てきたのです。

私もサッカー全然上手くならなかったので、あっさりやめて塾に行き始めました。

地元にも個人経営の塾はいくつかあったのですが、親が日能研なる塾を進めてきたので、何も考えずにそこに行くことになりました。今思えば、結構教育熱心な親だったように感じます。

この日能研なる塾は今思ってもなかなかシビアで、毎週テストを受けて、その点数によってクラスや座席が変動します。露骨に点数で順位付けさせるのです。今は違うのかな?

元々勉強はそんなに苦手でもなかったのですが、その制度に嫌気がさしてテストサボったりしていたので、いつも1番上のクラスと次のクラスを行ったり来たりしてました。

おかげで塾では仲のいい友達もできず、何一つ好きになれませんでした。人生で一番勉強した記憶があるのはこの時期です。本当にしんどかった。

そんなこんなで、塾通いが忙しくなったせいで、大好きなゲームが全然できなくなり、社会人になってから猛烈なゲーマーと化しました。。。。

絶対日能研のせいだと確信しています。


中学校

しっかり塾通いした結果が出たのか、お陰様で中学受験まですることになり、神奈川県ではソコソコのレベルの中高一貫校に合格。

これで受験勉強から解放されるーって喜び、授業は全く集中して聞いていなかったので、中学の成績は最悪レベル。

しょっちゅう職員室に呼び出され、放課後残され、酷いものでした。

また部活では陸上部に所属するも、練習がハードすぎて速攻の幽霊部員に。このころから「根性論」大嫌いでした。

見た目こそ普通の中学生ですが、勉強も部活もしない、何にも取り柄のない中学時代を送りました。

私立じゃなかったら、絶対にヤンキーグループに所属していた率が高いと思います。


高校

高校はエスカレーターでそのまま入学。中学卒業式の記憶なんてないですもの。

相変わらず部活も勉強もやってなかったので、暇なものでした。男子校だったので彼女なんてのもできませんし。

でも高校1年生の時にちょっと衝撃的な出会いがあったんですよ。

その出会いとは「留年した1つ年上の同級生」です。

結構びっくりしました。そんな人漫画の世界だけだと思ってましたから。

それまでは、ただ単に与えられた課題だの宿題だのをしていれば、なんとなく大人になっていくのかなーって思ってたのですが、そうではない「留年」っていうルートが現実にあることを思い知らされたのです。

世の中は「ちゃんとしないと脱落するルートがある」と初めて自覚した瞬間だったように思います。

それをきっかけに猛烈に勉強し、学年トップクラスの成績を叩き出すまでになっていました。平日でも1日5時間くらいは勉強してました。

そんな生活をしていると、理数系教科が得意だったこともあり、高校が私に勧めてきた大学は「国立の医学部」でした。医者になれと。。。

将来のことなど何も考えていなかった私は、何も考えず、医学部の受験に備え必死に勉強していました。が、受験目前に控えた高校3年生の12月、強烈な違和感を覚えたのです。

 

脱サラぶちょー
 俺、血とか見るの嫌だ。。。
 

本当にそうなんです。嫌なのです。というか病院の雰囲気とか全て嫌いなんです。なぜそれを職場にしようと考えてるんだ?

そう思いゾッとして、一念発起して受験の2月前にして志望校を変更しました。なんとなく楽しそうで、家からも近かった「慶應大学」をチョイス。

学校からは猛反対されて、担任が家にまで来て説得されましたが、意思は変わらず。

いきなり志望校変えたので、流石にキツイかな、と思ってましたが、ラッキーなことに受験前日に見ていた教科書の問題がそのまま受験に出題され、一発合格!

晴れて慶應大学に進学。


大学

大学時代はひたすら飲み会、バイト、飲み会、バイトの毎日。

彼女もソッコーで作って、頭も金髪にして、遊び狂う毎日でした。今までの人生で一番遊んだかな。学校には一年で30日くらいしか行ってないと思います。

行かなくても良い授業」「代返してもバレない授業」を徹底的にチョイスして選択してましたから。ゼミにも所属してませんでした。

 

親に授業料返せって言われても反論の余地ゼロです。

しかし、さすがは慶應大学、こんなどうしようもない大学生に対しても、ガンガン良い就職のオファーが来るものです。

そのためにも有名大学に行く価値は「今の所は」ある気がします。将来何やりたいか決まってない方こそ、しっかり勉強していい大学に行った方が良いですよ。

私も特に「将来これがやりたい」みたいなものもなかったので、とりあえず内定出た中で一番初任給が高かった中堅の商社をチョイスしました。

ひどい志望動機だ。。。。。


社会人

そして新卒で入った企業で今もなお10年以上にわたりコツコツと働き続けて来たわけです。

20代のうちは結婚やら出産やらいくつか大きなイベントがあったので、あまり「生き方」「働き方」について疑問を持っていなかったのですが(そんな余裕もなかったのですが)30代半ばにもなると子育ても今までより手がかからなくなり、奥さんもあまり遊んでくれなくなり、自分の人生と向き合う時間が長くなって来たように感じます。

そして、このままサラリーマンとして生きて行くことが嫌になったのです。

それが2018年の12月11日です。


このブログはそのサラリーマンとしての生き方と決別するためにスタートさせました。

サラリーマンとして会社からお金をもらう以外に、自分の力でお金を稼ぐ方法って他にあるんじゃないか、って思っています。

それを1つ1つ考え、実行し、振り返って改善し、、、を繰り返して気がついたら「サラリーマンとしての給料に頼らなくてもいいじゃん!」って状態になることが目標です。

それまではとにかく毎日1mmでも前に進むべく、行動しています。そしてそれをブログで綴っていこうと思っています。

ぜひ同じように思って日々過ごしている方、本ブログを参考にしていただき、サラリーマンとしての給料を頼らない日々を送りましょう!